お寺の縁起

神福寺の歴史


神福寺は、建久年間(1190~98)の創建といわれております。 開山上人に舜誉宥玄僧正を招き、神宮寺と 号しました。後に大内弘家公により再建され、日輪山神光寺に 改められました。大内氏は、盛見公や政弘公をはじめとして、愛染 明王の信仰に篤く、毎年六月朔日に近隣の密教寺院の僧を集め、愛染講 を修めていたと、寛文元年の寺伝に記されています。

建久年間とは:源 頼朝が征夷大将軍になり鎌倉幕府を開いたのが、建久3年(1192)です。その5年前、文治3年(1187)に東大寺大仏殿の再興のために重源上人が周防別所として、阿弥陀寺(防府市牟礼)を建立されました。 その1年前、重源上人の依頼を受けて、奥州藤原氏に勧進を行ったのが西行法師です。彼はその後、河内国弘川寺で、建久元年に入寂しました。

この神光寺の時代が、明治初年まで続き、長久山平蓮寺と合併して、神蓮寺 。
明治41年に先代の宮城真雄僧正の再建により岩国の妙福寺と合併して 神福寺になりました。昭和4年に山号も日輪山から西高野山へ変わりました。
現在、弘法大師の命日である3月21日にちなみ毎月21日をお大師さまの縁日 としてたくさんの方々の参詣をいただいております。




本堂:本尊様五智如来とお大師様
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観音堂周防国観音霊場第29番札所

西国巡礼の始まりは養老年間(717~724)、大和長谷寺の徳道上人により始められたといわれています。正暦2年(991)花山法皇が那智山に千日篭り、満願成就の結縁に仏眼上人、性空上人、弁光上人らを先達により、巡拝されたのが興盛の礎となっています。
周防観音霊場は、大内弘世(大内24代)が西国霊場を模して周防の霊地に勧請したものです。

本尊:十一面観世音菩薩

寺伝によれば、「大和長谷寺の十一面観音を尊崇していた大内政弘公が宮野初瀬の地に堂宇を建立し、蜘蛛山生福寺としました。後に、この堂は焼失してしまいます。とりあえず仮の草堂を建立すると、一人の旅の老僧が現れ、十一面観音立像を託して、また行脚の旅へ出てしまい、戻ることはなかった。この観音像はかなり古いものであり大内家の紋があったという…。」

 宮野初瀬の観音堂におまつりしていた観音様ですが、堂の荒廃により神福寺へ移されました。現在、観音堂のご本尊:十一面観音様の立像は、いわゆる請来檀像とよばれる唐の工人の手によるもので、45.5cm程の高さで、厨子に納められています。(国重要文化財)
毎月、二十一日のお大師さまのご縁日には、午後1時より、お厨子を開き、ご詠歌や観音経など奉納しています

  【十一面観音さまのご真言:おん ろけい じんばら きりく】

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